STORY
企業ストーリー
倉持調剤は1996年(平成8年)に設立されました。その前身となる倉持薬局は1895年(明治28年)に創業された会社です。創業当時は、薬研(やげん)で生薬などをひいて粉末とし販売していた事から、生薬屋(きぐすりや)と呼ばれたと言い伝わっています。
戦後、経営者が2代目の頃になると、店頭には、近代化された薬が並び始めます。薬以外にも日用品等を東京の問屋さん街に仕入れに行き、大きな風呂敷で購入した商品を包み、背負ってお店に並べる。どの家庭でもモノ不足で、仕入れたものを店頭に並べるとすぐに売れてしまい、また仕入れに行くという繰り返しをしていました。
時が経ち、生活も少しずつ豊かになってくると、地域の人たちの楽しみの一つに、町内で行く旅行が流行り始めます。2代目経営者もその旅行に同行し、旅疲れした時にはバックに入れて持ってきた栄養ドリンクを皆に無償で配り、最終日も元気に過ごしてもらうことが多くありました。
すると後日、「あの栄養ドリンクはどれ?」と来訪するお客様が後を絶たなかったそうです。
2代目の行動は、この栄養剤を売ることが目的ではなく、目の前の人が喜んでくれること、元気になってもらうことでした。
相手を想っての行動であったことが伝わったからこその結果ではないでしょうか。この精神は今の倉持調剤にも引き継がれています。
そして、この栄養ドリンクは、その後50年間倉持薬局のベストセラーとして受け継がれた商品となりました。
平成の時代になると、街の薬屋さんがドラッグストアに業態を転換していきます。倉持薬局もこの時期に先駆けとしてドラッグストアへの業態転換を図りました。
それまでの医薬品の販売手法を、対面販売に加えセルフで手に取れる売り場に変更。食品やお菓子、更にお酒の品揃えも増やし、大型の駐車場を備える店舗へと変化していきました。
先駆けた決断が功を奏し、ドラッグストア クラモチは各エリアで繁盛していきます。
この頃のビジョンは「日本一親切なドラッグストア」でした。
そして、ドラッグストア業界は売上上位の企業が株式上場を果たすようになります。その後、業態あげての再編の時代となり、全国に店舗展開を目指すのがドラッグストア経営の主流となりました。そして2006年(平成18年)、先駆けて倉持薬局も、全国展開を進める企業と資本提携をして現社長 倉持茂通の新体制でのスタートとなりました。
新体制では、大企業のメンバーとなる倉持薬局のスタッフの販売力を高める事を目的に、それまで培ってきた「接客販売力のレベルアップ」をテーマに、医薬品や化粧品の取り組み強化品を設定。ある化粧品では、メーカー様の開催する全国販売コンクール5連覇等の実績を作りました。
同時期に、調剤分野でも「医薬分業」の流れの加速により、各病院の門前に調剤薬局の開局が開始。当社も1996年(平成8年)に「倉持調剤」という新たな別会社で調剤事業への参入を行いました。テーマは「患者様の求めることは何か?」に応えていこうという事。
点数確保を目指し、収益性を高める風潮がある中で、当社は患者様に寄り添い、親切な対応と顧客満足を一番に目指しました。
全体的に好業績を維持してきた調剤薬局業界ですが、平成後半から日本の少子高齢化を背景とした医療費問題の影響を大きく受け、診療報酬改定のたびに点数は引き下げとなり、薬価も毎年引き下げという、厳しい経営環境となります。
厳しい経営環境の中、当社には創業時からずっと変わらない最大の強みがあります。そして、代が進むごとに加速していった強みがあります。
それは、良いスタッフがいるということです。
薬剤師を中心としたスタッフは、勤続25年以上の者が多くを占めます。
「目の前の患者様が、自分の大切な人・大切な存在だったらどんな行動をとるか?」
この視点を全スタッフが持ち、親切な対応を目指して仕事に取り組んでいます。地域に根ざした行動を心がけることで、実際に当社スタッフは、店頭からのつながりで、地元での関わり合いのある患者様もいます。
そのような行動を継続するために大切な事、それはスタッフそれぞれの価値観が、経営理念に沿っていること、その上に積みあがっていくのが、事業の目的であり、中期的な目標であり、日々の行動になります。「仕事力を高めるのと同様に、人間力を高めていく事」。
仕事を通して、人として成長し、その結果、豊かな人生を歩んでいけるような人の集団であることを大切な志として、日々患者様に向き合っています。私共は大きな会社ではありませんが、地域の人達に信頼される薬に関する専門家の集団であることを目指し続けます。